川の人

 清流長良川。豊かな流れは人の暮らしに多くの恵みをもたらしてきた。
その上流部は郡上にあり、かつては鮎やアマゴなどの川魚をとって生計を立てる「職漁師」と呼ばれるプロフェッショナル達がいた。彼らの編み出した技術が、鮎やアマゴの「釣り」を飛躍的に進歩させ現代の釣り技法の根幹となった。全国の釣り人が長良川を「聖地」と呼び、職漁師達に畏敬の念を抱いた。

 ところがこの20年間で長良川に大きな変化が。
生活様式の移り変わりと共に職漁師と呼ばれる人はいなくなった。長良川河口堰や異常気象による大増水で川は変わり、魚の影も少なくなった。

 昔の川でなくなっても、暮らし方が変わっても、それでも郡上には川が好きで魚好きでようがない人たちがいる。
いつも散歩のように川へ下り、花を愛でるように釣り竿を振る。水面を水鳥のように駆け巡り、魔法のように美しい魚や巨大な魚を手に入れる。まるで川で生まれ、魚と育ったような「川の人」たち。そんな素敵な人たちの話しを少し、ご紹介していきたい。


下廣太一さんのこと

 郡上市明宝畑佐にあるお豆腐屋さん「明方とうふ 下広豆腐店」。名物の「頑固とうふ」が評判で、よくTVでも取り上げられて芸能人が訪ねてくる。実は、そこのご主人と息子の太一さんが揃って「川の人」だということが隠れた名物となっている。

 今回は太一さんのこと。

下広太一

 郡上の長良川水系にはアマゴやイワナなどの鱒類が多く生息する。
特に、アマゴが郡上から伊勢湾まで川を下って巨大化し、サツキの花が咲くころに郡上へ再び帰って来きたものをサツキマスと呼び、その美しい魚体とおいしさからも釣り人の憧れの存在となっている。
郡上では「郡上釣り」というエサ釣りの伝統技法があり、鱒類を釣るために特化した技術が継承されてきた。だが、ここ最近は小魚を模した疑似餌「ルアー」を使い、リール竿を振って釣る「ルアー釣り」という釣り方が若者を中心に流行している。
太一さんは、ルアー釣りファンの間で「郡上の第一人者」と呼ばれることが多くなってきた。なぜなら巨大な鱒を次々に釣り上げているからだ。

 エサ釣り、ルアー釣りと区別なく、渓流でマス類を釣ることは非常に難しい。「エサを川に入れれば魚が寄ってきて勝手に食いつく」なんてことは絶対にない。絶えず変化する川の流れに合わせて、魚が泳いでいる目の前に、しかも魚が口を使いたがるように釣り竿を操作してエサやルアーを送り込まなければ釣れないからだ。
多くの釣り人が鱒に憧れて川へ出かけても、手にする人は限られている。技術がある人だけだ。

 そんな鱒を事も無げに(ぼくらからはそう見える)釣る太一さんだが、どんな育ちをしてきたのだろうか。昔の話しを聞いた。

師は父

下広豆腐店前にて 太一さんの釣りの師は父親だという。
「俺の師匠は、やっぱりいろんな師がおったけど大本のところはオヤジ。保育園年長のころにはもうオヤジについて釣りに行った。小学校3年のころには(鮎の)イカリ引きのガンガン持ちをやって、うちのオヤジスゲーなーと思ってやってきて」と、魚獲りの名人であるご主人の影響を受けて育った。

 大きな鱒や鮎、ウナギを釣りまくってきた太一さんだが、忘れられない魚は何か、と聞くと意外な答えが返ってきた。「オヤジが細畑の橋の下で釣った40cmを超えたサツキ。郡上では川マスと言って。小学生くらいのころ。夏の夕方に。こんなデッケえアマゴおるんかと衝撃的やった」といったご主人とのエピソード。続けて「釣ったヤツを食えるんかと思ったけど、オヤジに、焼いて隣のジイちゃんバアちゃんに持って行ってやれ、と言われた時は密かにショックやった(笑)」。昔はタンパク質をとれる食べ物が少なくて「アマゴを食うと力がでる」と言われていたそう。
父親の他人を想う優しさを感じたことも相まって、太一少年の忘れられない思い出の魚になったのだろうか。

 そうして魚に夢中になっていく太一少年は、アマゴのエサ釣り、毛針づり、鮎釣り、イカリ引き、と郡上のあらゆる「魚獲り」を体得していく。
始めは「魚を釣って喰いたい」が、その原動力であったが、同時に魚の美しさに惹かれていった。「郡上のアマゴはめちゃめちゃきれい。パーマークにしろ朱点にしろ。ヒレひとつでも同じものがない。そんで川の深みから上がってきた魚、その風景。きれいさに惹かれる。川のきれいさ、自然のきれいさもあって、惹かれたと思うんやけど……、そういうことやね」という。
釣りに夢中になるあまり山奥で落石にあい、右手の親指を失う事故もあった。それでも太一さんは「やっぱり楽しいところではあるんかな」と後悔なしだ。

森羅万象

太一さんのアマゴ そんな太一さんに最近変化が訪れた。
「だんだん歳くってきて、自分が食うための釣りじゃなくって、そうでない価値観に変わってきた」という。太一さんは郡上の長良川流域以外の釣り場へは行かない。それは自分の暮らしの中に「釣り」があるからではないか、この地の自然を「ちゃんと感じれる」手段の一つが釣りだ、そう気づいた。「釣り自体が、この地域の自然に交わる、なんと言ったらいいかな……、そういう感じなんだよね」。

 川の虫ひとつでも、たくさんの種類がいる。
川の石は巨大なものや小さいもの、黒や白や緑色。川にルアーを投げて水しぶきが飛んだり。いろんなカタチの流木がころがってたり。雨や、風や、川の匂いや、光。釣り竿を持って川に立てば、森羅万象が自分に語りかけてくる。
太一さんの言葉にならない想いは、きっと、そういうことなのだろうか。


下広太一さんと吉田川

 郡上の釣りは、誰にでも勧められる簡単なレジャーではない。
ただ、美しい魚を追いかけて川に生息する「川の人」たちの世界を覗いてみることは、きっとおもしろい。彼らの話を通して「意外なワンダーランド」の窓をのぞけば、郡上の未知なる姿が見えてくる。

 明宝に来たときにはぜひ明方とうふを訪れてみて欲しい。

Text 萱場振一郎