秋の白山神社祭礼
秋の祭礼シーズンが始まりました。
明宝地域では、7集落にある8つの白山神社で9月~10 月に「秋の祭礼」が執り行われます。
今年も、寒水の掛け踊りを皮切りに、気良、大谷、二間手、小川、畑佐、奥住へと続きます。
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2019年 明宝 白山神社祭礼
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9月7・8日(土・日)
寒水の掛踊 (国の選択民俗芸能 岐阜県重要無形文化財)
9月21日(土)
西気良 大神楽
気良歌舞伎(余興)
9月22日(日)
東気良 伊勢神楽
10月5・6日(土・日)
二間手 大神楽
大谷 大神楽
10月12・13日(土・日)
小川 大神楽
小川地芝居(余興)
10月13・14日(日・月祝)
畑佐 大神楽
10月20日(日)
奥住 太神楽・伊勢神楽
寒水掛踊
「掛踊」は郡上市大和町、白鳥町などの寒水から峠を越した先にある各地の集落で不定期に(21年に一度など)行われていますが、毎年欠かさず行われているのは寒水掛踊のみです。
寒水掛踊の起源は、宝永6年(1709年)大和の母袋村から峠越えに道具一式と共に移譲されたという伝承があります。このため明治の終わりころまでは、母袋村から声自慢の者が祭りに駆けつけており、この際取り交わされたという場所名乗りの歌詞が残されています。
中桁と呼ばれる旧家で打ち出し(この打ち出し宿は世襲で代々中桁が務める)てから、「中桁前の踊り」に入り、旧道(神様道)を巡行後、白山神社前で「お庭踊り」と「拝殿前踊り」を行います。
役は悪魔祓いや露払い、音頭取り、笛吹き、田打ち、おかめの舞などがあり、行列は実に130人に及びます。
中でも青年4人が受け持つ「拍子打ち」は一番の大役。シナイ(造花を飾った3.6mの竹)を背に背負い、屈みながらそのシナイを地面にしなわせるように力強く打ち付けます。
オンドリの冠を被った「音頭取り」がうたう唄は、道行曲の「しゃげり」「妙見拍子」「おかざき」「こしずめ」など。
寒水の白山神社から5km程の山林の中に「奥の宮神社」があります。ここに祀られている観音像も、掛踊りと共に母袋から譲り受けたものと言われています。
昔は「拝殿踊り」は奥の宮神社まで出向き行っていたそうですが、奥の宮の拝殿焼失後は奥の宮の観音様を集落内にある白山神社の脇殿へお迎えし、一連の踊りを全て白山神社で行うようになりました。
本楽の最後には、「どじょ」と呼ばれる地域特有の踊りが踊られます。元々は家を建てるための地固めをする際に労働唄として唄われていたものが、今では夏の拝殿踊りと、掛踊りの最後に唄い踊られています。
祭礼そのものは地域の厳粛な行事ですが、この「どじょ」がはじまると一変して和やかなムードに。2日間の労をお互いにねぎらいながら、見物人も一緒に輪に招き入れられ楽しく踊ります。
昭和37年に岐阜県無形民俗文化財に、昭和49年に国の選択民族芸能に指定されています。
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開催日 9月の第1土曜日(試楽)・日曜日(本楽)
場 所 寒水白山神社
西気良祭礼/東気良祭礼
明宝気良は、気良川を挟んだ東気良、西気良に分けることができ、それぞれに白山神社を有しています。
昔はそれぞれで行っていた祭礼も、昭和20年代から合同で行われるようになり、現在では土曜日の試楽、日曜日の本楽を毎年両白山神社が交互に執り行っています。(2017年なら、土曜日が西気良、日曜日が東気良となります。)
元々は、寒水白山神社が9月8日・9日、西気良が9月18日・19日、東気良が9月28日・29日に祭礼を行っており、この3つの神社は兄弟のような神社であったと地元の方は話されます。
西気良祭礼は年代は分かりませんが明宝小川地区から師匠を頼み習い伝えられたものと言われています。道行には赤鬼が先頭に立ち、幟、奴、先箱と続きます。白山神社にて大神楽が奉納されます。
東気良祭礼では、百年程前に八幡町の吉田から伝わったと言われる子ども達による伊勢神楽が奉納されます。この伊勢神楽は奥住の奥長尾へその後伝えられています。
また「忠臣蔵三段目」「葛の葉」など外題物が一つ奉納されます。
試楽の夜には、気良の青年による「気良歌舞伎」が上演されます。若者独特の感性も盛り込まれ、場内は笑いの渦に包まれることも。
古くは気良の2つの白山神社の境内で各々上演されており、しばらく途絶えていましたが現在の「気良歌舞伎一座」によって復活され、2016年で10周年を迎えました。青年歌舞伎ではありますが伝統ある行事で、衣装やカツラ、囃子など全てが本格仕様です。山里の技芸に触れることができるまたとない機会です。
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開催日 9月下旬の土曜日(試楽)・日曜日(本楽)
場 所 西気良白山神社、東気良白山神社
気良歌舞伎
開催日 9月下旬の土曜日(試楽の夜)
場 所 明宝コミュニティーセンター(郡上市明宝二間手532)
二間手祭礼
大谷が大和町の神路から伝授した祭礼が、明治期に二間手に伝えられたと言われています。編み笠をかぶり襦袢を着た長刀が四名、顔にヒゲを書き1.8mの毛槍を手に持った鳥毛奴などが道行きに参加します。
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開催日 10月上旬の土曜日(試楽)・日曜日(本楽)
場 所 二間手白山神社
大谷祭礼
伊勢神楽、大神楽ともに大和町の神路へ習いに行き後に伝えたといわれています。
大谷は「道の駅明宝」が建つ集落でもあります。祭礼の際には、道の駅にも立ち寄り、名馬磨墨像の前で大神楽が奉納されます。
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開催日 10月上旬の土曜日(試楽)・日曜日(本楽)
場 所 大谷白山神社
小川祭礼
郡上市明宝にある小川地区は下呂市へ流れる弓掛川の最上流域に位置します。明宝畑佐から標高910mの小川峠を越える必要があり、伝統文化も他地域からの影響が少なく古い形式が伝承されています。ここの大神楽は木地師から伝わったともいわれています。
顔を赤色に塗った「奴(やっこ)」は露払い、箱持ち(2人)、槍持ち(2人)、薙刀の6人。この奴衆が先導する一行は見物ですが、道行中の奴の前に立つと露払いが持つ長いシナイで叩かれることがあります。写真撮影の際は、お気を付けくださいね。
祭礼の夜には、二夜続けて余興が行われます。その余興の前にはサイトリサシ、男踊り、女踊りが奉納されます。女踊りでは「おかめ」が混じり、コミカルな動きをして場を和ませます。
余興では小川小学校の体育館にて地元の「小川演劇クラブ」による地芝居が上演されます。地元住民はお重やお茶、お酒を持って鑑賞に出かけます。花道や張り出し舞台などは、この日だけのために有志の手によって仮設されます。
見学人と役者との掛け合いや舞台演出は、集落の一体感を感じさせてくれます。
この演劇クラブは2017年で結成45年。地芝居の前はずっと歌舞伎を行っていたといいますから、長い伝統を途切れることなく受け継ぐ数少ない芸能集団です。
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開催日 10月中旬の土曜日(試楽)・日曜日(本楽)
場 所 小川白山神社
畑佐祭礼
八幡の岸剣神社から伝わったとも、宮大門から習ったともいわれてる畑佐祭礼は、軽快な音色の笛太鼓です。昔は神楽とは別におかめ踊りがありましたが、夜の余興の際に地芝居と共に行うようになり、今ではその余興も絶えてしまっています。
畑佐の神楽は、後に奥住の鎌辺へ伝えられています。
畑佐の大神楽には雄獅子と雌獅子がおり、本楽の終わりに余興として二頭立ての大神楽が奉納されています。
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開催日 10月中旬の日曜日(試楽)・月曜日(体育の日)(本楽)
場 所 畑佐白山神社
奥住祭礼
旧奥住村は、奥長尾、口長尾、小保木、鎌辺、坂本、の5つの村が合併してできた村であったため、旧村それぞれの5つの神社があります。明宝奥住になったため、鎌辺の大神楽を今の奥住の大神楽として受け継ぎ、また祭礼の日には小保木の伊勢神楽も合わせて奉納されており、この2つだけが今に伝えられています。
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開催日 10月下旬の日曜日(本楽のみ)
場 所 奥住白山神社
いかがでしたか?
小川祭礼と、小川から伝わったと言われる西気良祭礼は、他の集落にはない「箱持ち」がいたり。
西気良祭礼では緑の鶏の冠が太鼓を叩いていますが、畑佐祭礼では黒い鶏の冠が太鼓を叩いたり。
集落ごとの違いも楽しんでみてはいかがでしょうか?