若者が、天下の名作に挑む
ここ郡上市明宝の「気良」地区には、地歌舞伎を演じる「気良歌舞伎」一座がある。
若者を中心として「地元を盛り上げたい」と「集まって呑みたい」という素敵な目的をもって立ち上がった。
かつて郡上には、各地で祭礼にあわせて盛んに地歌舞伎が演じられていた。
農村の人びとにとって無二の楽しみであった舞台も、時代とともに少なくなり、平成には郡上市内で口明方(郡上市八幡町)の高雄歌舞伎のみ。たった一団体となっていた。
そんな中、平成17年、気良地区の若者が集まって、久しく絶えていた気良の「地歌舞伎」を復活させたのだった。
「ほんとに、はじめてやで」。小さいころに観た記憶をたどり、演じた地歌舞伎。一座のみんなが初めてだった。それでも高雄歌舞伎からの支援と、持ち前のやる気で華々しい初回公演が開かれた。そのころを振り返ると「ほんとに恥ずかしいわ」と苦笑する。
それから10年を超えて。
毎年続けてきた若者の演技は、高雄歌舞伎の師匠も唸るほど進化した。
師匠から習った様式美と、気良の持ち味である「勢い」が発するエネルギーが相まって、若者らしい「かぶいた」世界をつくりだす。
平成28年には、歌舞伎の3大名作のひとつと謳われる「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の寺子屋の段に挑戦。
主人公の松王丸が、主君の息子を守るために自らの息子を身替わりにする、といったお話し。
打ち首にされた、わが子の首を見ながら「これは間違えなく主君の息子だ、良く討ち取った」という荒々しいセリフ。
「若君菅秀才の首に相違ない。相違ござらぬ。出かした源蔵、よく討った」
子を喪った悲しみを胸に隠して吐き出すセリフ。その切なさが観る人びとの心を打った。
客席のおばちゃんたちの目から、涙が流れ出す。
江戸時代に書かれたお話しが、時を超え、今の若者の手によって語られている。
観客は、コミカルな演技で笑い、
まさかの展開で驚き、
悲しい叫びに涙する。
一座は「ぼくらの演技は決して上手ではない、むしろ下手や」と言う。
へたくそでもいい、ぼくらがやりたいことを、お客さんに向けて一生懸命やるだけだ。
若者たちの目には、そんな力強さが籠もっていた。
今、気良の若者たちの手で、この地に根ざした文化が新しくつくられようとしている。
Text 萱場振一郎
気良歌舞伎の公演は、9月にある地域の白山神社祭礼の余興として。また、11月の高雄歌舞伎青年部との合同公演として。ここ数年は年に2回、演じられています。
他方では、一座を中心に、明宝の歴史民俗資料館にある、昔の歌舞伎で使われた資料や写真を活かした「地歌舞伎展示」を行ったり、ブログやFacebookを通じて地歌舞伎の歴史・文化を広めたりと、その活動の幅を拡げています。
公演日時
毎年9月第3土曜日(気良白山神社祭礼奉納定期公演)
毎年11月(高雄・気良青年歌舞伎公演)
場所
明宝コミュニティセンター(定期公演)
郡上総合文化センター(高雄・気良青年歌舞伎公演)